桃の節供あれこれ

3月3日は、「上巳の節供」や「桃の節供」などと呼ばれ、一般には、「雛祭り」として子供のころから楽しまれている方が多いでしょう。

ちなみに、旧暦では、2020年の3月3日は、なんと3月26日なのだとか。新暦とほぼ1か月も時差があることに驚きますが、3月も下旬となれば暖かな日も増え、百花繚乱のときも間近。桃の花をお供えするお節供にはふさわしい気もしますね。

さて、くらしのこよみ友の会研究員のみなさんは、どのような桃の節供を過ごされたのでしょうか。

手作り雛人形

ウチのお雛様は紙粘土。12、3年前に、子どもが保育園生だった頃、紙粘土で遊ぶ隣で、作ってみました。紙粘土に絵具を混ぜて作りました。
子どもは男の子しかいないので、自分のためのお人形さんです。息子たちは、自分の背丈を超えまして、あの日の可愛いお手手は、ドでかくなっています。

三澤純子

母から贈られたお雛様がふたたび

平成の御代を冬眠し続けた我が家のお雛様が、およそ30年ぶりに。昭和53年、母が届けてくれた日が蘇ります。本当に久しぶりに飾り、娘達が懐かしがってました。雛あられお飾りしますね。

さくらちゃん

それぞれの幸せ飾り

夫婦ふたり暮らしには、こちらの方がしっくりくるので高砂人形です(雛人形でなくてすみません。番外編という事でお許しください)。
桃の節句でも通年でも、飾る時期を選ばず、縁起が良いとの事で決めました。高砂は松の精なので、私の趣味にピッタリです。高砂ご夫妻は仲良く松の木の下にいらっしゃるそうなので、黒松や五葉松と一緒に色々飾り方を検討しました。

ユキコ

五人囃子

私は小鼓を打つので、お雛様をみると、ついお囃子の五人囃子を見てしまいます。お雛様の決定版というのはあるのかどうか、判らないのですが、この楽器の演奏をするチーム、雅楽のチームのバージョンもあります。
今は段飾りのものではなく、ミニチュアの男雛、女雛だけの別のセットを母が買ってきて飾っています。ミニチュアのお雛様は小さい小さい桃の花や菱餅、ぼんぼりに囲まれてミニチュア屏風の前で縁のある畳の上に座っています。

あきらこ

一晩だけのお雛様

前夜慌てて出して、明日には仕舞う。。来年はもう少し早く出したいものです。さて、句会の投稿は、いよいよ明日締め切りです!!

事務局みよし

ハルノキタラバ・・・

私にとり「上巳の節句」は、紐解くうちに、これまで描いていた雛祭りのイメージから大きく飛躍しました。最も大きな再発見は、「踏青(とうせい)」という言葉です!
古代中国の書聖・王羲之が353年に、賢人達とこの「踏青」や水辺の流觴(りゅうしょう)を楽しみ、詩を賦(ふ)した様子が書の手本にもなっており、素人の私にも生き生きした風景が伝わってきます。1667年前の今ごろ、このような山水宴風景があったとは、「踏青」に思いをいたすばかりです。

みうきい

着物で過ごす上巳の節句

今日は三月三日。上巳の節句、ひな祭りですね。ここ数日のうちの床の間にはこの掛け軸が掛かけています。詳しいことは分からないのですが、江戸末期から明治初期ごろのもののようです。
時代を考えると、もしかして右側は徳川家茂公で、左側は皇女和宮さまなのかななどと夫婦で話をしています。
うちは子供もいないので雛壇を飾ることはしませんが、毎年小さな床に少し大きなこの軸を描けるようにしています。この軸をかけるだけで華やいだ心持ちになります。歴史的なことはさておき、私たちは仕事柄やはり衣裳に目が行きます。

木下着物研究所(客員研究員)

めぐりみずのとよのあかり

みうきぃさんが詳細にレポートしてくださいました、太宰府天満宮曲水の宴。

曲水の宴で流す盃を乗せる台は「羽觴(うしょう)」と呼ばれ、オシドリの形をしています。曲水の宴は、曲がりくねった小川に盃を浮かべ、自分の前に来るまでに漢詩を詠むという、中国由来の御遊び。しかし、唐の羽觴は実際には鳥の形をしたものではなく、単なる丸い器だったようです。それが日本では「羽」という字からの連想で鳥の形のモチーフに変化していったようですね。水に浮かべることから、水鳥であるオシドリの意匠が取り入れられたのも納得です。
三月三日の雛祭りが女子の幸せな結婚を祈る行事だと考えると、オシドリがモチーフの器を用いるなんてぴったりですね。(写真は毛越寺の羽觴)

かずさ

俳句と文法

ぜひ参加を!と思い、先日あった投句の機会にがんばって作句をしました。
俳句を作るのは小学校以来。お作法ははるか記憶の彼方。
先生の基礎編を読んでも、自分の中で腑に落ちないまま辿り着きました。
何が腑に落ちないのか悶々としているところに、今週発売になったこの本で手を打ちました。

あき

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